スタッフブログ

当社の歴史を辿って・・・ ~創業から今日までの歩み~

本店の恩田です。
明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

当社は今期、おかげさまで法人設立15周年を迎えることができました。昨今の新型コロナの影響を鑑みて周年イベントなどは自粛させていただきました。
さて前回私の実家の家紋についてお話しした中でご先祖様は百姓をしていたと言いましたが、今回は「石高石材販売」の歴史を振り返り、創業から今日に至るまでを記事にさせていただきました。
今の家業になったのは明治44年に私の曾祖父が百姓をしながら石材の仕事にたずさわるようになってからであります。当時は岡崎や遠い所では岡山県まで石材が採れる山へ行って石材の運搬をしておりましたが農家もしていたので馬や牛を飼っていたのです。その後、馬は軍用に徴収されて仕方なく牛で運搬をしていたそうです。

そして祖父の代には墓石の修行へ行き、墓石を作る修行を重ね師匠より「石髙」という屋号を頂戴し「石髙石材」と名乗るようになりました。
私が3歳になった時に祖父は亡くなりましたが、工場で古い墨壺を触っていたずらをしてよく叱られていたのを今でもよく憶えています。
工場で石をノミでたたいて加工している姿や、今ではこんな作業をすることはありませんが、お墓の竿石にゴムを張り上から毛筆で前字(南無阿弥陀仏など)を書いている姿を覚えています。

鳴海駅そばの砦墓地には当時祖父が作って建てた墓石が今も残っております。
ある時、お施主様とお話しする機会があり、祖父の字がとても気に入っているとおっしゃっていただきました。孫の私が言うのもなんですが、祖父の字は本当に丁寧さ、仕事に対する根気さ、あと祖父の筆の運びから優しさが感じられるのです。
文字彫りも当時は手彫りでノミと金槌で叩いて彫っていたのをおぼろげに覚えていますが、今見直しても本当にここまで丁寧に深く掘れたものだと感心します。
とても几帳面で丁寧な仕事をしていた祖父でしたのでいつも納期ぎりぎりだったとも父から聞いています。

父の代になってからは墓石の仕事の他に、庭石工事が増えていきました。
お寺の枯山水の庭や門塀工事もしておりました。当時、緑区大高界隈では父の組んだ石積みが乱積みで特徴があり珍しい組み方だったので評判になり作業中に見学に見える方が多くいらしたそうで沢山の注文を頂いたこともありました。車で走っていると父が組んだ石積みの横をよく通ることがあります。

その後、事業を徐々に拡大していき、昭和60年頃に緑区鶴が沢に店舗を出店しました。今のみどりが丘公園墓地が昭和64年に開園されたのをきっかけに店舗を現在の地に移転しまして、その後は墓石の仕事中心になっていきました。
また屋号も石髙の髙をハシゲタではなく、高に変更しました。これは豊明市にある勅使店で母が店番をしていると何処かの八卦見が母の顔を見るなりいきなり「この髙では駄目だ」と言われ高に変えたのでした。そのおかげか今まで家業を続けられたのかもしれません。

平成になり今では会社を分社化し石高石材販売として家業を引き継いでおります。
地元の方たちにお声を掛けて頂き、鳴海駅に鳴海絞の記念碑を建てる仕事をさせて頂いたり、成海神社の玉垣工事をさせて頂いたりしております。

また、供養の形もさまざまになりお客様のニーズに寄り添って弊社では墓石の他に新たに樹木葬の販売もしております。
時代の変化を察知して新たな供養のご提案をしていきたいと思っておりますのでこれからも宜しくお願い致します。

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創業110年で名古屋市緑区、豊明市、長久手市の老舗墓石店。
一般墓、永代供養墓、合祀墓、樹木葬のことなら石高石材販売まで
供養に詳しいスタッフがお墓づくりのこと、霊園のこと、仏事のこと、
何でもお答えいたします。
まずはお気軽にお問合せください。052-876-9421
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2021年2月1日